脳内シナプスの枝切りをしよう!

私はそううつ病で悩まされているわけですが、今日はなんだか、朝目覚めがよかった。
たいがい、朝起きると体がだるいのだけど。原因を考えてみると、

  • 言語のことを考えるのをやめて、GDI周りのことを調べ始めたこと。
  • 調べていた内容を一度、アウトラインプロセッサできっちりまとめたこと。

があげられた。考えている内容が変わり、ネストが下がって、その内容をすばやく構造化したことで、頭の中がすっきりしたために目覚めがよかったのかなと思った。そこで、もう少し詳しく考えてみた。


うつ病とは、脳内伝達物質が少なくなるために、生活に支障をきたす病気である。そのために、脳内伝達物質を増やす薬を飲むと改善されることが多い。しかし、それでも駄目な場合があり、さらに、悪化して、覚せい剤を飲んだときのような、わけのわからない状態、そう状態になってしまったりする。そうになると、その後の回復には凄く時間が掛かる。自分の場合しかしらしらないけど、子供のような状態になってしまうので、何ヶ月という時間が必要になる。薬を飲んでどうこうできる状態ではなくなってしまう。
病院では、ある程度話を聞いてくれるが結局のところは、薬を飲んで直るのを待つことになる。
あとは、日記をつけたらよいのではないかといった話をされる程度だった。
どうも、自分は納得できず、脳内伝達物質を無駄に使うような脳みその使い方をしているから脳内伝達物質が少なくなるのではないかと考えて、どうやったらうまく脳を使いこなせるかを考えてきた。


考えが堂堂巡りになることで無駄に脳内伝達物質を消費しているなということについては感ずいていたのだけど、どうやったら考えのループから抜け出すことができるかが分からないところであった。
自分の場合、新しいアイディアを考えることが好きで、いろいろ考えることが多い。新しい物事を考える場合は、自分の知識の中で、いろいろな関係ない物事と関連付けて考えることになるので、脳内ではシナプスがスパゲッティ状に伸びていくのではないかと思う。
そうすることで、なかなか考え付かないアイディアを生み出しやすくなるのだと思う。
シナプスがスパゲッティ状に沢山伸びて、そこに情報を沢山流すと、情報伝達物質が消費され、
鬱になる。そこで、薬を飲み情報伝達物質を増やして、さらにシナプスを増やし、考えの答えがでれば、あとはシナプスを伸ばすのを辞めて、答えの部分だけを残せばよいので、鬱状態は治まるのではないかと思う。しかし、シナプスを伸ばし続けても、答えが出ないような場合は、鬱状態は続いてしまう。そうやって、関係のない事柄について関連付けすることを強化していくと、電車に乗っていて他の人が話している内容を自分のことを話しているのではないかということに関連付けてしまったり、自分はコレだけ考えているのだから天才だと、関連付けしてしまい、狙われているというような妄想にまで関連づいて考えてしまったりして、おかしくなるのではないかと思う。考えを順序だて、系統立てることが出来ないとこうなってしまうんじゃないかと思う。


そこで、日記をつけると、考えが外部に出力されるので効果がある程度期待できるが、文章が下手だと、効果はあまりでない。私は文章が下手なので効果が出なかった。そこで、アイディアプロセッサを使って、考えていった。するとネストがものすごいことになってしまうことに気が付いた。Wikiはアイディアプロセッサの一種とも考えられるが、1ページ内のネストは3つまでと制限されている。ワードをアイディアプロセッサとして使うとある一定ネストを超えた場合、右にずれるのではなくて、★○■といった記号が出てきてネスと深すぎと暗に警告してくれる。
ようするに考える時にはあまりネストを深くして考えるのはいけないことなんだということだ。
これらのツールを使うのはよいが、脳内では相変わらず、スパゲッティ状態でしか物事を考えることが出来ない。それを鍛える必要がある。文章を書く基本として起承転結と言うものがあるので、起承転結で物事を考える癖をつけることで、ある程度、構造を持たせることができるのではないかと思った。考えてから物事を話しなさいといわれるが、どう考えたら良いのかわかってないのだったという話だ。


結論としては、

  • シナプスを削減すれば脳内伝達物質の消費量が減らせるのではないか。
  • 起承転結を意識して考えるようにするとシナプスを削減できるのではないか。

ということから、起承転結を意識して考えるようにすると脳内伝達物質の消費量を減らせるのではないか。

  • うつ病は脳内伝達物質が少なくなる病気である。
  • 起承転結を意識すると脳内伝達物質の消費量を減らせるのではないか。

ということから、


起承転結を意識して考えるようにすることはうつ病の治療に効果があるのではないか。


ということがいえるんじゃないかと思う。さらに意識して、脳内で系統立てて物事を考えることができるようになれば、より効果がでるのではないかと思う。文自体には未だ無駄があると思うから、詳細の考え方も身に付ける必要があるなということで。あとは実践して効果のほどを見ていくしかないけど、疲れるまで考えるのと、考えが終わるところまで考えるという違いが有ると思う。「もう終わり?じゃあ、どうしよう。」っていうふうに思うようになったのは大きいなと。