sumii先生は仙台にいた!!

ITなんたらのOCamlの記事がどうのというのを読みました。
sumii?はて?と思って調べてみたら、なんと、あの美しい日本のMLコンパイラの作者の人じゃないですかというか、
あろはさん経由でよくブログも見たりしてたじゃないかと。
ってことで、ちょっとショックでした。


過去ログをざーっと眺めてしまったです。おおー、なんかローカルな話が載ってる。


Haskellよりも、Ocamlのほうが分かりやすいことは間違いないのでほんとに流行るかもしれないなぁ。
ああ、やっぱ、大学院とか入りてえなぁ。と発作的に思えど、とりあえず、
英語が最大の難関だってことで、論文とか読みまくって慣れるしかないかと思う今日この頃です。
そうこう、しているうちに、どっか別の大学とか行ってしまわれたら悲しいなぁとも思うのでした。
OCamlオライリー本を途中まで訳してたらしいのがひっそりあったんだけど、消える前に保存しておこう。
それのひたすら訳してみるのもいいのかもなぁと。
でも、今ひとつ面白くなかったって書いてあったのがなぁ。
セミコロンがセパレータであるのかどうかについて考えてるんだかなんだかの学者さんがいるそうで、やばさを感じる。
まずいんですよ。いや、いいんだけど、大問題なんですよ。どうあつかったもんかなぁと、ないと困るときもあると思うけど、
なくていいことのほうが多いもんなんだよなぁ、多分。じゃあ、全部につけとけ。って考え方と、いや、必要なときだけ
につけたらいいだろ、みたいなのがあると思うんだけど、好き嫌いだけじゃなくて、処理のしやすさの観点でどっちがいいの?
って話になるといいとおもう。たとえ、多少見た目悪くなっても。そうすると、直感的には、あったほうがよいになって、
struct A{};だのclass A{};だのとセミコロンが付いてしまって,美しくないっていわれるような気がするけど。


MTASCの作者の人に会ったとかいいなぁとか思ってたけど、Ocamlで言語を作るくらいのレベルだと、
早々いるものでもないのかなぁとか、思ったりしました。
Nekoって、C--みたいな奴だったのかとか、いやちがうかも。
ただの、JavaScriptもどきだと思ってた。VMVM
なんでも、関数でやってしまうという感じだったよなぁ。配列のnewもarray(10)関数読んで、終わりみたいな。


でも、定理がどうのとかあの、数学アレルギーがあるので、それも、徹底的に直さないとな。
いや、勉強になりました。あろはさんとsumiiさんと俺と入れてもらってoff会とかやってみたいなぁ思いました。


北方プログラマ連合会みたいな。なんだかよくわからんけど。

うーむ、美しい日本のMLコンパイラは、今の実力では無理なので、Scheme作れるようになってから出直してきます。
待っておれ!